白老村(読み)しらおいむら

日本歴史地名大系 「白老村」の解説

白老村
しらおいむら

[現在地名]白老郡白老町字白老・字森野もりの・字石山いしやま緑町みどりまち陣屋町じんやちよう川沿かわぞえ緑丘みどりがおか栄町さかえまち本町ほんちよう末広町すえひろちよう若草町わかくさちよう高砂町たかさごちよう大町おおまち東町ひがしまち日の出町ひのでちよう

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正八年(一九一九)三月までの村。白老郡の中央部に位置し、東は社台しやだい村、西は敷生しきう村に接し、北はホロホロ山(一三二二・四メートル)白老岳(九六八メートル)多峰古峰たつぷこつぷ(六六一・一メートル)の山岳地帯、南は太平洋に臨む。ほぼ中央部を白老川が流れ、東側海岸寄りにポロト湖がある。近世シラヲイ場所の中心地で、明治初年にシラヲイ、ウヨロ、ブウベツなどのコタンを包含して成立(新白老町史)。明治三年(一八七〇)出羽米沢藩の支配地調査に来た同藩士宮島幹は「北行日記」の同年九月一五日条に「申ノ刻前白老本陣へ(止カ)宿ス、(中略)此処ハ永住人一切無之土人小屋四、五十軒アリ、一ノ関藩支配所ニテ諸役員両三人詰合ノ由ナリ、当所出張以来格別ノ開拓モ不致上漸ク小屋壱軒造営セシ由」と記している。

白老村
しらおいむら

大正八年(一九一九)四月から昭和二九年(一九五四)一〇月までの白老郡の村。白老村・社台しやだい村・敷生しきう村が合併し、二級町村制を施行して成立。旧村名を継承した三大字を編成した。大正九年白老電気により市街四〇〇戸に点灯、同一二年村営電気事業に移管。大正一〇年に北海道庁立白老病院(アイヌ病院)と敷生尋常小学校知床しれとこ特別教授所(現萩野小学校)が開設。昭和三年には市街に電話二三本が設置され、国鉄室蘭線(現JR室蘭本線)虎杖浜こじようはま駅が開業。同七年虎杖浜郵便局が開局し、ホロケシ地区(現在の字森野)に福島県・新潟県・岩手県などから二十数戸が入植。同八年ホロケシ尋常小学校が開校し、同一四年森野尋常小学校と改称

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報