日本大百科全書(ニッポニカ) 「白菊会」の意味・わかりやすい解説
白菊会
しらぎくかい
短歌結社。1903年(明治36)10月、金子薫園(くんえん)がその門人平井晩村、田波御白(みしろ)、吉植(よしうえ)愛剣(庄亮(しょうりょう))、岡稲里(とうり)、武山英子(ひでこ)らと結成したもので、土岐(とき)湖友(善麿(ぜんまろ))も05年に加わる。作品は『読売新聞』『新潮』『白百合(しらゆり)』などに発表した。恋愛を中心とした『明星(みょうじょう)』の浪漫(ろうまん)主義短歌に対して、自然を中心にした叙景歌を主張したところに、この会の意義があった。そのため『明星』からは激しく非難されることが多くあった。05年に薫園が「短歌研究会」を組織したころからその勢力は衰え、翌年末には消滅した。
[藤岡武雄]