百済大井
くだらのおおい
「日本書紀」敏達天皇元年四月条に「是の月、百済大井に宮つくる」とある。また同書皇極天皇元年五月二四日条に、日本に渡来した百済の王子翹岐とその妻子を、百済の大井に移り住まわせたことがみえる。この大井の地については諸説あり、近世の錦部郡太井村(現河内長野市)の地にあてる「日本書紀通証」「書紀集解」の説が一般的である。しかし太井村は山中深い所にあり宮地には適さず、百済の地の平地部に存したとみるべきであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 