日本大百科全書(ニッポニカ) 「百間川遺跡」の意味・わかりやすい解説
百間川遺跡
ひゃっけんがわいせき
岡山市、原尾島(はらおしま)、兼基(かねもと)、米田(よねだ)(以上中区)などにかけて広がる沖積地の大遺跡。川幅約180メートルの百間川は、江戸期に、旭(あさひ)川の洪水から岡山城下町を守る目的でつくられた人工の放水路。建設省(現国土交通省)による改修工事に伴い、委託を受けた岡山県教育委員会は、1976年(昭和51)の第一次確認調査後、引き続いて五か年計画を立て、事前の発掘調査を実施、流程13キロメートルのなかで、三つの主要な微高地を突き止め、その周辺に展開する弥生期の埋没水田を発見した。各水田跡はかならず大畦畔(けいはん)と小畦畔によって区画される。1区画の面積は、小は9平方メートル、大は400平方メートルあり、50平方メートルのものが圧倒的に多い。微高地の上面からはさらに弥生時代および古墳時代の竪穴(たてあな)住居、井戸、溝などの生活跡をはじめ、土壙墓(どこうぼ)、壺棺(つぼかん)などの埋葬施設を検出。遺物も各時代にわたり多種多様である。
[葛原克人]