日本歴史地名大系 「皆原村」の解説 皆原村かいばらむら 鳥取県:八頭郡八東町皆原村[現在地名]八東町皆原東(ひがし)村の東方、八東川南岸に位置する。小畑(おばた)郷一二ヵ村の一。拝領高は一六三石余。本免五ツ。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高二五〇石、竈数四〇余。「因幡志」では家数四八、産土神は高良(こうら)大明神(現高良神社)。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高二八二石余、竈数五〇。乾氏の給地があった(給人所付帳)。藪役銀二三匁余・山役米一石を課されていた(藩史)。明治三年(一八七〇)の家数四八、牛三一、高瀬舟一・草刈船二(中村家文書)。 皆原村かいばらむら 京都府:宮津市皆原村[現在地名]宮津市字皆原宮津城下より山中(やまなか)越で、東南の加佐郡(現舞鶴市)に通じる道のかかりにあたる。慶長検地郷村帳に「下宮津之内」として「皆原村」とみえるが、その後個別に高付され、延宝三年郷村帳に「下宮津皆原村」高一五〇・三三二石と記される。同九年(一六八一)の延高で三〇八・八三二石(うち二四・二八五石町地子、一〇・九三五石大頂寺領など)となった(天和元年宮津領村高帳)。延高は元高に比して二倍以上という高率のうえに、以前から町家ならびに寺院敷分の地子も負担させられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by