20世紀日本人名事典 「益頭峻南」の解説
益頭 峻南
マスズ シュンナン
明治・大正期の日本画家
- 生年
- 嘉永4年2月12日(1851年)
- 没年
- 大正5(1916)年4月2日
- 出生地
- 江戸・下谷西町
- 本名
- 益頭 尚志
- 別名
- 通称=鉎太郎
- 学歴〔年〕
- 大学南校〔明治6年〕卒
- 経歴
- 幕府製鉄所調役益頭駿太郎の長男として生まれる。陸軍兵営寮で通訳官を務め、のち仙台の陸軍地方幼年学校教官となる。明治8年野口幽谷に入門して南画を学び、間もなく退官して画道に専念。17年以降各種展覧会、博覧会に出品し受賞を重ねた。日本美術協会では、28年、33〜37年と連年2等賞銀牌、29〜32年3等賞銅牌を受賞。40年文展開設に際し正派同志会を結成、幹事となり、第2回文展より審査員を務めた。花鳥画を得意とし、佐久間鉄園らとともに日本美術協会の重鎮として活躍した。代表作に「野鶏及時」「山梁及時」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報