日本歴史地名大系 「盛山村」の解説 盛山村むりやーむら 沖縄県:八重山諸島石垣市盛山村[現在地名]石垣市盛山(もりやま)桃里(とーざとう)村の南、轟(とうどうるきい)川流域の村。ムリャーとよばれる。「南嶋探験」に集落は安政二年(一八五五)まで河口左岸の海沿いにあったが、マラリアが蔓延したため右岸に移転、明治元年(一八六八)さらに中流左岸の台地に移転したとある。轟川は八重山島由来記に「ととるき川原」とみえ、河口の海域には広い裾礁が発達している。もとは桃里村の属地。土壌や水利に恵まれていたため、乾隆五〇年(一七八五)やせた地で農業不振に苦しんでいた富崎(ふさぎい)村を村ごと移し、地名をとって村名を盛山村とした。村の移転はとうり(通路)・浦野(うらの)という二つの重要な津口の管理になるとの判断もあった(八重山島年来記・御手形写抜書)。立村以来宮良(めーら)間切に属したとみられる。新川(あらかー)村の西にあった富崎村は同三六年に竹富(てーどうん)村(現竹富町)から寄百姓して新設された村で、村位は同四五年に下々と定められており、盛山への移転・村名変更後もこれが踏襲された(翁長親方八重山島規模帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by