桃里村(読み)とーざとうむら

日本歴史地名大系 「桃里村」の解説

桃里村
とーざとうむら

[現在地名]石垣市桃里とうざと

白保しいさぶ村の北に位置する。トーザトゥとよぶ。東は太平洋に面し、中央部に突出する野原のばる崎には乾隆三六年(一七七一)の明和大津波を予告した人魚の伝説が残る。南北に細長い村域を有し、南から通路とうーりい川・ファナン川・ソージ川・伊野田いのーだ川・大野おおの川などが東流して海に注ぐ。八重山島由来記に通路川は渡理川原、ファナン川は蔵並川原、ソージ川は作宇治川原と記される。ソージ川沿いに島を横断して浦底うらそこ湾に出る道を浦底越地うらすくくいちいという。ソージ川上流域は曲流するためナナンガーラ(七曲川原)とよばれ、当村の乙女と野底ぬすく村の青年の悲恋物語で知られるナナンガーラの石穴がある。ファナン川中流右岸にある大マンゲー山(一〇三メートル)・小マンゲー山(六六メートル)は、全山が五五〇〇万―六五〇〇万年前の新生代第三紀の石灰岩(宮良層群)からなり、円錐丘の熱帯カルスト地形。大マンゲー山中腹には古い人骨のあるヤマトゥ墓(屋島墓)とよばれる洞窟がある。

正保国絵図には宮良めーら間切内の地名として「通口小舟掛所」「のはらい崎」(野原崎)などがみえる。村域にある仲夢なかゆみ御嶽は「琉球国由来記」に宮良めーら村の御嶽とされており、当初は宮良村の内で「たうさと」とよばれ、耕作に適していたため石垣いしやなぎい登野城とうぬすく平得ぴいさい・宮良・白保五ヵ村の百姓らが畑作をしていた。しかし往来に不便なため雍正一〇年(一七三二)村立てを申請、土地が広く津口も二ヵ所あり、用水の便もよいことが認められ、この五ヵ村に大浜ほーま村と黒島ふしいま(現竹富町)を加えた七ヵ村から五六〇人を寄百姓、与人・目差を置いて桃里村が新設された(参遣状・八重山島年来記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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