相応津(読み)そうおうつ

日本歴史地名大系 「相応津」の解説

相応津
そうおうつ

[現在地名]佐賀市西与賀町にしよかまち大字相応津

本庄江ほんじようえに面した津である。近世に入って発達した津で、慶長絵図には村名はもちろん土地が造成された様子もない。正保絵図・元禄絵図にも村名はない。

安政四年(一八五七)川副・与賀・嘉瀬津津諸目安によると、相応津はかみ町としも町に分れ、津なので村の庄屋に相当する別当の支配を受けていた。上町は船二三艘で、人別は四四八人(男二三九、女二〇九)、竈数は八七軒(侍二、手明鑓三、足軽六、諸家来三一、御船手四、寺一、山伏一、被官二、百姓三七)である。百姓とあっても上町には屋敷が一町八段余あるだけなので、商業日雇いなどの職または漁業に従事したと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む