相撲場跡(読み)すもうばあと

日本歴史地名大系 「相撲場跡」の解説

相撲場跡
すもうばあと

[現在地名]盛岡市八幡町

八幡はちまんさかうえの角の御用屋敷の南西二〇間余の所に相撲場があり、御上覧場と称して北方に見物桟敷があった。内史略本「盛岡砂子」に「公国の相撲の格式は、諸家の羨みとする所也」と記され、いわゆる南部の角芝と称せられる四角土俵で、芝の上の鯱や行司等に独特の形式があった。「御家被仰出天明四年(一七八四)一二月一四日条によると、天明の飢饉の際に南部の抱相撲は中止となり、力士は江戸・京都・大坂に出ることを許され、七ッ滝岩平・貫門右衛門・雪ノ浦松之丞らに暇が出されている。その後、相撲は再び復活し、文政二年(一八一九)には長瀬越後に行司を家職とすることが命ぜられている(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 興行

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む