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相良晴広 さがら はるひろ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相良晴広 さがら-はるひろ

1513-1555 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)10年生まれ。上村頼興(よりおき)の長男。相良義滋(よししげ)の養子となり,天文(てんぶん)15年肥後(熊本県)人吉城主。明(みん)(中国)と貿易をおこない,「相良氏法度二十一ヵ条」をさだめた。天文24年8月12日死去。43歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典内の相良晴広の言及

【相良氏】より

…遠江出身の中・近世武家。鎌倉時代,肥後国人吉荘等の地頭となる。近世には人吉藩主。藤原南家乙麻呂流で,伊豆の豪族伊東氏や工藤氏と同族。平安後期周頼が遠江国佐野郡相良荘(現,静岡県榛原郡相良町)に住し,以来相良氏を称するにいたったという。周頼4代の孫頼景およびその子長頼は関東御家人となり源頼朝に仕えた。頼景は1193年(建久4)肥後国球磨郡多良木荘の地頭として下向したと伝えられる。一方長頼(蓮仏)は98年,平頼盛の代官矢瀬主馬助を退けて,球磨郡人吉荘に入ったというが,いずれも確証はない。…

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出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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