ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パウルス4世」の意味・わかりやすい解説
パウルス4世
パウルスよんせい
Paulus IV
[没]1559.8.18. ローマ
ベネベント近郊出身の第223代教皇(在位 1555~59)。本名 Gian Pietro Carafa。貴族出身。教会における地位は,おじの枢機卿(→カーディナル)オリビエロ・カラファの存在に負うところが大きい。イングランドとスペインへの教皇大使として教皇レオ10世(在位 1513~21)に仕えたのち,司教の聖職禄を辞し,1524年に禁欲と使徒職を通じて聖職者改革を進めるためテアチノ修道会を創設した。教皇パウルス3世(在位 1534~49)の教会改革委員に任命され,1536年に枢機卿となり,ローマの宗教裁判所(→宗教裁判)を再編した。過度の厳格さや妥協を許さない改革主義,教皇の権威を絶対視する思想の持ち主であったが,1555年5月教皇に選出された。対外的にはフランスと同盟を組んでハプスブルク家,スペインとの対立政策をとり,ルター派教会を認めた 1555年のアウクスブルクの和議を糾弾した。また教会内においては公会議を忌避し,トリエント公会議は再開せず,ローマの聖職者による職権濫用を規制し,バチカン宮殿に厳しい禁欲生活を取り入れた。さらに,ユダヤ人が教会改革にある種の影響を及ぼしているという,教会内で流布していた誤った考えから,1555年,ローマにゲットーをつくってユダヤ人を隔離し,バッジの着用を強制した。これらの措置は反目をもたらし,教会改革という大義にとって致命的なものとなった。
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