日本歴史地名大系 「相賀大神社」の解説 相賀大神社おうがだいじんじや 和歌山県:橋本市市脇村相賀大神社[現在地名]橋本市市脇二丁目市脇(いちわき)集落北の丘陵台地上に鎮座。祭神は天照(あまてらす)大神・伊邪那岐(いざなぎ)神・伊邪那美(いざなみ)神。「続風土記」には惣社三部(そうじやさんぶ)明神社とみえ、中世には密厳(みつごん)院(現和歌山県高野町)領相賀荘の鎮守であった。創建はつまびらかでないが、神社周辺の市脇(いちわき)古墳群との関連が注目されている。和泉山脈裾野の市脇から東隣の東家(とうげ)にかけた広い緩傾斜地は古く相賀台(おうがだい)といわれ(紀伊国名所図会)、持統・文武紀伊行幸の時の歌に<資料は省略されています>と詠まれる大我野は相賀台に比定される。当社は広野の北端に鎮座し、社前には古くから市が営まれたという。この市は中世には惣社之市といわれた(「相賀荘惣社大明神神事帳写」相賀大神社文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by