百科事典マイペディア 「相賀荘」の意味・わかりやすい解説
相賀荘【おうがのしょう】
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紀伊国伊都郡(現,和歌山県橋本市)の荘園。荘域は紀ノ川をはさんで北は河内国堺より南は高野山麓におよぶ。1132年(長承1)陸奥守女子藤原氏と現地の豪族坂上豊澄の寄進,および鳥羽上皇の外護によって,高野山の僧覚鑁(かくばん)の住房密厳院領として成立。翌年不輸不入の一円所領となったが,隣荘石清水八幡宮領隅田(すだ)荘や金剛峯寺領官省符荘との紛争が続き,荘経営は当初安定しなかった。成立期の田数は90余町,所当400余石という。下司職は室町時代にいたるまで坂上氏が相伝している。鎌倉末期以降,高野山が〈御手印縁起〉の範囲内だとして河南地域(南荘)の領有を主張し,1333年(元弘3)後醍醐天皇の勅裁によって高野山領に編入された。しかし河北地域(北荘)は戦国時代にいたるまで密厳院(根来(ねごろ)寺)領として存続した。95年(応永2)から翌年にかけて,高野山は南荘の田畠・在家の検注を行い,本格的な支配にのりだしている。南北朝時代ごろより荘内の村落には惣的結合がみられ,柏原村にはその実態を垣間みることのできる区有文書(西光寺文書)が現存する。
執筆者:小山 靖憲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…古来,大阪方面から高野山への高野街道と,和歌山から大和への大和街道が十文字に交差し,かつ紀ノ川水運の河港でもあった。古くは市域西部に高野山領相賀(おうが)荘,北東部に石清水(いわしみず)八幡宮領隅田(すだ)荘があった。隅田荘荘官隅田氏は中世には武士団として勢力を伸ばしたが,その氏神とされたのが,人物画像鏡(国宝)で著名な隅田八幡宮である。…
※「相賀荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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