相馬誠胤(読み)そうま ともたね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相馬誠胤」の解説

相馬誠胤 そうま-ともたね

1852-1892 幕末-明治時代の大名,華族
嘉永(かえい)5年8月5日生まれ。相馬充胤(みつたね)の子。慶応元年陸奥(むつ)中村藩(福島県)藩主相馬家13代となる。戊辰(ぼしん)戦争では奥羽越列藩同盟にくわわり新政府軍とたたかうが,大勢をみきわめて降伏。廃藩後,旧家臣の帰農をたすけた。子爵。明治25年2月22日死去。41歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の相馬誠胤の言及

【相馬事件】より

…奥州の旧相馬藩主相馬誠胤(ともたね)(1852‐92∥嘉永5‐明治25)をめぐって1883年から10年以上も世間をさわがせた事件で,これが契機となり,精神衛生法の前身にあたる精神病者監護法(1900)が制定された。誠胤は14歳で家督を相続したが,24歳のころから精神変調の兆候を示し,居室に監禁される。…

※「相馬誠胤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む