改訂新版 世界大百科事典 「イディッシュ文学」の意味・わかりやすい解説
イディッシュ文学 (イディッシュぶんがく)
イディッシュ文学の表現手段であるイディッシュ語は,ユダヤ人(いわゆるアシュケナジム)が今日まで約1000年にわたって話してきた口語である。そしてユダヤ社会ではヘブライ語と並び重要な媒体として民謡,民話,非公式の祈禱に用いられ,16世紀に一応の完成に達した言語である。19世紀,ユダヤ社会内に近代ドイツ語への転換を図る啓蒙運動が起こったが,東欧ユダヤ人の間ではその反動としてイディッシュ語の洗練化運動が旺盛になり,ユダヤ人の大量東方移動もあって,イディッシュの機能範囲は東欧に広がった。
近代のイディッシュ文学の基礎を築いたのは,記述言語としての基本文型を確立したメンデレ・モヘル・スフォリムMendele Mocher-Sforim(1835-1917)であり,続くシャローム・アライヘム(1859-1916),イサク・レイブ・ペレツIsaac Leib Peretz(1852-1915)の精力的な創作活動を通じて着実な開花,発展を見ることになった。メンデレは《不具者フィシュケ》(1888),《ベンジャミン3世の放浪》(1878)で貧困にあえぐ男や夢想に取り憑かれた男の遍歴譚を描き,ユダヤ社会にわだかまる観念主義や偏見を風刺し,シャローム・アライヘムは《イディッシュ人民文庫》(1888-89)発行によってユダヤ文学興隆に貢献するとともに,《メナヘム・メンドル》(1892),《牛乳屋テビエ》(1894)など,連作の諸短編でロシア圧政下の小村落に住むユダヤ庶民の姿をユーモアと哀感のあふれる文章で活写し,多数の読者を獲得した。ペレツはハシディズム信奉の強固な伝統主義と新しく勃興した近代進歩思想の相克するはざまに立って,神秘性・宗教性を帯びた多くの民話や短編,さらに戯曲《黄金の鎖》(1911),《古き市場の夜》(1914)で,ユダヤ民族に課された複雑な状況に対し鋭利な内省的検討を加えた。これらのいわゆる古典的三大作家の影響を受け,多数の有能な若手作家が輩出し,1860年代から第2次大戦前までの期間,イディッシュ文学はリトアニア,ポーランド,ニューヨークにおいて黄金時代を迎える。小説分野ではユダヤ性の本質を重視したD.ピンスキ(1872-1959),悪漢,殉教者,転向者など多様な登場人物を作品化したS.アッシュ(1880-1957),壮大な規模の社会小説を手がけ,アメリカ亡命後はイディッシュ演劇界にも大きく寄与したI.J.シンガー(1893-1944),ユダヤ底辺層の道徳的崩壊やローマによる神殿破壊時の民族指導層が陥る苦境を克明にたどったJ.オパトシュ(1886-1954)などが顕著な活動の担い手だった。
演劇方面では,ゴールドファデンAbraham Goldfaden(1840-1908)が,1876年に初めて一般民衆を対象にしたイディッシュ劇場をルーマニアに創立し,ゲットー生活に染みついた迷信や愚行を風刺する軽歌劇からシオニズム志向の歴史劇に至る諸戯曲の創作・演出に従事し,大衆の娯楽や教養の水準を高めた。80年代以降の東欧ユダヤ人大量移民は,アメリカでのイディッシュ演劇の台頭をうながした。ロシアでの弾圧を避けて渡米したJ.ゴルディン(1853-1909)は,偏狭性を脱した普遍的・現実的課題を含む《ユダヤのリア王》(1892),《神,人間,悪魔》(1903)の上演により演劇界の隆盛を導き,1918年,ニューヨークにイディッシュ芸術劇場を開設したM.シュワルツ(1890-1960)は,オデッサで劇団活動を推進していたP.ヒルシュベイン(1880-1948)の参加を得て,その創作劇上演に成功し,その後50年の劇場閉鎖時まで多彩な演目の提供に力を注ぎ続けた。ヒルシュベインは戯曲以外に長大な旅行記《世界一周》(1927),小説《赤い原野》(1935)を書き残したが,彼に強い影響を及ぼしたのは,ユダヤの民族的詩人と称揚されるビアリクであった。被抑圧民族の胸底に内蔵される微妙な理念,喜悦,悲哀を鋭い想像力によって格調高い詩作品に定着したビアリクは,イディッシュ語でも創作したが,主として表現の器はヘブライ語だった。彼がメンデレ,ペレツ,シャローム・アライヘムとともに後進作家の集団に働きかけ,イディッシュ文学の育成と向上に貢献した功績は大きい。
これらと並ぶ特異な詩人としては,若年期から急進的活動家だったH.レイビック(1886-1962)が目立ち,彼は獄中体験を素材に《鉄錠の裏側》(1918),《シベリアの道》(1940)の詩集を発表し,苦難にあえぐ人間たちの幻想や魂の救済を歌ったし,また,ソ連で活躍したマールキシPerets D.Markish(1895-1952)は共産主義に深く傾倒すると同時に,同胞民族に対する残虐行為への痛恨を《人民と祖国》(1943),《戦争》(1948)などの叙事詩で吐露したのだが,イディッシュ語作家粛清の難に遭って処刑された。
19世紀の後期以後,その高揚期を現出させたイディッシュ文学は,第2次大戦中のユダヤ人大量虐殺や,戦後建国されたイスラエルのヘブライ語公用化のため,新たな筆者・読者層の世代形成は必ずしも容易でない現状にあるが,にもかかわらず東欧から入国した作家たちにイディッシュ語復興の気運が兆しているのも事実であり,60年代以降イスラエルでのイディッシュ語刊行物はその数を増し,季刊文芸誌《黄金のきずなDi Goldene Keyt》は順調に発行されている。現在,イディッシュ文学に関して特筆すべき点は,とりわけそれがアメリカ文学の世界に及ぼした影響であり,60年代からとみに際立った活動を示しているS.ベロー(1915-2005),B.マラマッド(1914-86),P.ロス(1933- )などユダヤ系アメリカ作家の描く人間像には,イディッシュ作品に頻出するシュリマズル(不運な人間),シュレミエル(善良な愚者)の原型像が二重写しの形で顕在的・潜在的に表現されている。また,1935年にナチスの恐怖を逃れてアメリカに亡命したI.B.シンガー(1904-91)は,表現媒体としてイディッシュ語に固執し,ポーランド・ユダヤ人の境涯を素材にとっておびただしい作品群を創造しているが,彼を含めたユダヤ系文学の世界を支持,普及させている基盤は,ニューヨークで発行されている諸イディッシュ語新聞の読者層と,評論家I.ハウ(1920-93)を筆頭にイディッシュ語の英語翻訳にたずさわっている文学者集団の存在であることを見逃すわけにはいかない。
執筆者:邦高 忠二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報