イェーツ(読み)いぇーつ(英語表記)William Butler Yeats

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イェーツ」の意味・わかりやすい解説

イェーツ
いぇーつ
William Butler Yeats
(1865―1939)

アイルランド詩人劇作家。6月13日ダブリン郊外のサンディマウントに生まれる。父ジョンは画家。1867年に一家はロンドンに移ったが、母の郷里スライゴーに帰ることも多く、幼時からアイルランド北西海岸の風景や、農民の語る妖精(ようせい)談になじんだ。1881年ダブリンへ戻り19歳で市立美術学校に入学するが、2年で画の修業をあきらめ、詩人としてたつ決心を固めた。1887年ふたたびロンドンに出て、1889年に第一詩集『アシーンの放浪ほかの詩』を発表、ケルト人の英雄アシーンが妖精の案内で魔法の島々をめぐる幻想的な物語詩や、哀愁に満ちた繊細な叙情詩で注目された。アイルランド独立のために戦う美女モード・ゴンMaud Gonne(1866―1953)と出会ったのもこの年である。1891年には「詩人クラブ」を結成、ジョンソンLionel Pigot Johnson(1867―1902)、ダウソン、A・シモンズらの世紀末唯美派詩人との交友を深め、フランス象徴主義詩人たちの存在を知る。また1887年ブラバッスキイ夫人の「神智協会」に参加、1890年には「黄金の曙光(しょこう)教団」に入会して、カバラの教義、占星術、降霊術の研究に熱中した。現実の社会に背を向け、神話と魔術と夢の領域に詩の主題を求める神秘主義的で芸術至上主義的な傾向は、詩集『葦間(あしま)の風』(1899)で一つの頂点に達する。

 他方では、1891年に「アイルランド文芸協会」の設立に協力して、民族文学普及の実践運動に乗り出し、『ケルトの薄明』(1893)ほかで民話を収集紹介、劇『キャスリーン伯爵夫人』(1892刊、1899初演)では中世の説話を用いて、悪魔に魂を売り農民を飢えから救う貴夫人の姿を描いた。1899年にはグレゴリー夫人Lady Isabella Augusta Gregory(1852―1932)らと「アイルランド文芸劇場」を設立、この劇のダブリン上演をもって本格的な民族演劇運動を開始するが、さらに劇作家シングやアイルランド人俳優らの参加を得て、1904年に「アベイ劇場」を新設、アイルランド文芸復興の黄金時代を築いた。この時期の劇には愛国的な『キャスリーン・ニ・フーリハン』(1902初演)、ケルト神話による『バーリアの浜で』(1904初演)、『デアドレ』(1906初演)などがある。そののちフェノロサ訳の能を知り、様式的な表現に影響を受けて、『鷹(たか)の井戸』(1916初演)から、晩年の『クーフリンの死』(1939刊、1945初演)まで、15編の劇を書いたが、写実を求める大衆の好みからは離れた。

 しかしイェーツは、演劇運動の実務を体験することによって状況に直面するすべを学び、劇の創作を通して直接的な語法の効果を知る。詩集『責任』(1914)では、現実の世界に対する挑戦的な姿勢があらわになる。社会的な事件を取り上げ、市民たちの卑小な生活を痛烈にののしり、祖父たちや、世紀末の友人たちや、神々や英雄たちと比較する。1917年には長年のゴンへの思いを断ち切り、52歳でジョージー・ハイド・リーズGeorgie Hyde-Lees(1892―1968)と結婚、創作力はいっそうの充実を示して、詩集『クールの野生白鳥』(1919)、『マイケル・ロバーツと踊り子』(1921)、『塔』(1928)、『螺旋(らせん)階段ほかの詩』(1933)などの傑作を生み、『最後の詩集』(1939)に至るまで衰えをみせなかった。ここでは対英抗争、内乱、大戦、老年など、現実の混乱、恐怖、不毛に対する仮借ない認識と、これらを克服して超越的体験にあずかろうとする願望が恐ろしい緊張をつくりだしている。また散文『ビジョン』(1925、改訂1937)は、循環歴史説や転生説に対する信念を体系図式化した、個性的な省察録である。イェーツの詩的変身が、T・S・エリオット、オーデンらを含むモダニズム以後の詩人たちに与えた影響は大きい。1923年ノーベル文学賞受賞。1922年から1928年までアイルランド上院議員。1939年1月28日南フランスの保養地で死去。遺体は第二次世界大戦後の1948年に、スライゴー郡ドラムクリフ教会の墓地に埋葬し直された。

[高松雄一]

『平井正穂・高松雄一編『イェイツ・エリオット・オーデン』(1975・筑摩書房)』『佐野哲郎・風呂本武他訳『イェイツ戯曲集』(1980・山口書店)』『鈴木弘訳『W・B・イェイツ全詩集』(1982・北星堂書店)』



イエーツ
いえーつ

イェーツ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イェーツ」の意味・わかりやすい解説

イェーツ
Yeats, William Butler

[生]1865.6.13. アイルランド,ダブリン
[没]1939.1.28. フランス,ロクブリュヌ・カプ・マルタン
アイルランドの詩人,劇作家。1923年ノーベル文学賞受賞。早くからロンドンに出てライオネル・P.ジョンソン,アーサー・シモンズらの世紀末詩人と交わり,フランス象徴派の影響を受けた。第一詩集『アシーンの放浪』The Wanderings of Oisin, and Other Poems(1889)や詩劇『キャスリーン伯爵夫人』The Countess Cathleen(1892)は伝説から取材した夢幻の境に憧れるロマンチックな作品であり,神秘への志向を秘めているが,やがて祖国アイルランドの独立運動に参加し(→アイルランド独立運動),アイルランド文芸協会をロンドンに設立(1891),さらにイザベラ・オーガスタ・グレゴリー夫人と協力してダブリンにアイルランド文芸座を組織(1899)し,アビー劇場建設への道を開いた。『キャスリーン・ニ・フーリハン』Cathleen ni Houlihan(1902),『ディーアドラ』Deirdre(1906)は代表的戯曲である。20世紀に入ってから詩風に変化を生じ,神秘主義から脱して現実への関心を強め,象徴詩的な傾向を深めた。1922~27年にはアイルランドの上院議員を務めたが,詩人としても 1930年前後が最盛期であり,『塔』The Tower(1928)や有名な「ビザンチューム」を含む『めぐれる階(きざはし)』The Winding Stair(1929)は 20世紀における最も注目すべき英詩集とみなされている。遺作に詩劇『煉獄』Purgatory(1939)がある。日本の能楽にも関心が深く,その影響を受けて詩劇『鷹の井戸』At the Hawk's Well(1917)などを書いた。南フランスで客死。(→アイルランド演劇

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