日本歴史地名大系 「真庭村」の解説
真庭村
まにわむら
真田信政の時代当村と政所村との宿割がなされ(→政所村)、それ以前は字上真庭・
真庭村
まにわむら
南と東は
除
尼邪村」とある「
尼邪村」は当地内をさすと思われる。文和二年(一三五三)四月二〇日の吉良貞家書下写(同文書)にも坂本郷内に「摩尼谷上下村」とあり、武石但馬守の一時的知行が認められている。寛永三年(一六二六)正月の大条兵庫(宗頼)宛の伊達政宗領知黒印状(伊達家文書)によると「真庭田二町六反」「真庭原はりの町上平原朴木原畑十六町分」等が四ヵ年間の諸役免除を得て開発を認められ、開発後検地を受けるとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報