日本歴史地名大系 「真志喜安座間原第一遺跡」の解説
真志喜安座間原第一遺跡
ましきあざまばるだいいちいせき
旧海岸線から直線距離で一八〇メートルほどの標高四―五メートル台の沖積低地の微高地に形成される。南側後背にトゥマンジャと称する落差一二メートルほどの琉球石灰岩段丘が張出す。一九八五年(昭和六〇年)から八九年(平成元年)にかけて、六次にわたり約三二〇〇平方メートルの発掘調査が行われた。遺跡は貝塚時代前期・中期に相当する埋葬遺構群と同後期前半の集落遺構群からなり、沖縄諸島における当該期の墓制と葬制または集落構成を知るうえで重要な遺跡である。
前期・中期に相当する埋葬遺構群は低平な砂地に形成される平墓である。南北二五メートル・東西六一メートルの範囲から検出された四四基のうち、土壙墓が一八基、配石墓が三基、列石墓が七基、置石墓が一基、盛土墓が二基、石棺墓が一基、土器棺墓が一基で、一一基は土壙墓と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報