真脇村(読み)まわきむら

日本歴史地名大系 「真脇村」の解説

真脇村
まわきむら

[現在地名]能都町真脇・ひめ・姫一―三丁目・羽生はにゆう

珠洲すず郡に属し、西は小浦おうら村。大沢おおそ川の河口内浦に臨む真脇の入江集落が位置し、その南の枝村姫から南西に延びる出崎に弁天べんてん島がある。康治二年(一一四三)一〇月四日の源季兼寄進状(九条家文書)によると、能登守であった父源俊兼から伝領した若山わかやま(現珠洲郡)を季兼が皇太后藤原聖子に寄進しており、その四至の南限として「珠珠正院真脇村」とみえる。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に「真脇村」とのみ記され、珠珠正院すずしよういん(現珠洲市)から分立した公田数は旧来九町七段二であったが、前年の検注によって八町三段に定められた。貞治二年(一三六三)から応永三〇年(一四二三)の間に書写された四坪薬師寺大般若波羅蜜多経(忍久保家蔵)のうち、巻三二六は「殊々郡真脇林地蔵堂」で書写されている。永正一五年(一五一八)三月に能登を旅した冷泉為広の「能州下向日記」に真脇の地名がみえる。戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)によると、「大真脇」「ひめ」「真脇」は加治氏・遊佐氏の知行であった。また天正一〇年(一五八二)五月一五日には、前田利家が上杉方の長景連らの棚木たなぎ籠城に対し、「まわき」の浦舟を集めて敵船を狩出すように、真柄助三郎・今村藤次郎らに命じている(「前田利家書状」中谷文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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