瞿曇悉達(読み)くどんしった(その他表記)Qú tán Xī dá

改訂新版 世界大百科事典 「瞿曇悉達」の意味・わかりやすい解説

瞿曇悉達 (くどんしった)
Qú tán Xī dá

唐代には多くの外国人が中国に来住したが,その中には梵語Kāsyapa,Gautama,Kumāraの音訳にあたる迦葉瞿曇,俱摩羅を姓とする3家のインド天文学者があった。瞿曇悉達は瞿曇姓の一人で,唐の玄宗に仕えて太史令(国立天文台長)となり,718年(開元6)に勅命を受けてインド天文書,九執暦を漢訳した。これは後に彼が編集した《大唐開元占経》に収録されて現存する。九執暦にはアラビア数字の源流となったインド数字や,ギリシアからインドに伝わった正弦関数が記載された。1977年に西安市の近くで悉達の子にあたる瞿曇譔の墓が発見され,その墓誌銘によって瞿曇家の家系が明らかになった。悉達の祖父にあたる瞿曇逸がインドから来て長安に住み,その子の羅は則天武后の698年(聖暦1)に勅命を受けて光宅暦をつくり,また譔は太史令となった。この一家は100年にわたり,唐王朝に仕えて天文学に大きな貢献をした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「瞿曇悉達」の意味・わかりやすい解説

瞿曇悉達
くどんしった

生没年不詳。中国、唐(とう)代のインド人天文学者。その名はGautama Siddhantaの音訳。712年、太史監(国立天文台長)となり、『九執暦(きゅうしつれき)』を翻訳して、プトレマイオス以前の古代西方の天文学の影響を受けたインドの日月運行、日月食の計算法を中国に紹介し、正弦表やインド数学を伝えた。さらに『開元占経(かいげんせんきょう)』を編集したほか、渾天儀(こんてんぎ)の修理も行った。瞿曇Gautama氏は迦葉Kāsyapa氏、拘摩羅Kumāra氏とともにインドから中国に来住して天竺(てんじく)暦法をつかさどった3家の一つで、唐代の天文学者として、悉達のほか、羅(ら)、譔(せん)、晏(あん)、謙が知られている。譔の墓誌銘によれば、羅は悉達の父、譔は悉達の第4子で、瞿曇氏は悉達の祖父、逸のときに長安に来住したという。

[宮島一彦]

『藪内清著『隋唐暦法史の研究』増訂版(1989・臨川書店)』

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世界大百科事典(旧版)内の瞿曇悉達の言及

【九執暦】より

…中国,唐代のインド系天文学者の瞿曇悉達(くどんしつた)が玄宗皇帝の勅命で,718年(開元6)にギリシア天文学の影響を受けた4~5世紀ころ以降のインドのシッダーンタ天文書を翻訳したもの。《開元占経》の104巻に収められている。…

【中国数学】より

…隋の時代には劉焯(りゆうしやく)が天文計算にはじめて補間法を使用した。次の唐代にはインド人天文学者瞿曇悉達(くどんしつた)が《九執暦》を編集し,その中でアラビア数字の源流であるインド数字,それに加えて正弦関数を紹介したが,中国数学に影響を与えることはできなかった。中国人の外来文化に対するきびしい拒否反応を示すものといえよう。…

※「瞿曇悉達」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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