矢口来応(読み)やぐち らいおう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢口来応」の解説

矢口来応 やぐち-らいおう

1782-1858 江戸時代後期の心学者
天明2年2月1日生まれ。安芸(あき)広島藩士。享和元年藩の勘定方となる。江戸で大島有隣(うりん)にまなぶ。京都の明倫舎で心学講師の資格を得,文政2年広島に敬信舎を開設。広島心学の草分けとなった。安政5年6月27日死去。77歳。本姓は増原。名は直方通称は八郎平。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む