朝日日本歴史人物事典 「矢田部郷雲」の解説
矢田部郷雲
生年:文政2(1819)
江戸後期の蘭学者。武蔵国勅使河原村(埼玉県児玉郡上里町)に農民の子として生まれた。伊豆韮山代官江川太郎左衛門(坦庵)の家臣。嘉永6(1853)年,太郎左衛門の海防策,品川台場と反射炉の築造に際し石井脩三と共に新規に採用され,江戸本所の江川邸につめ蘭書翻訳に従事した。安政1(1854)年7月,幕府の長崎海軍伝習に参加。同2年6月には幕府鉄砲方付,蘭書翻訳勤方に任命された。蘭書翻訳の業績は,太郎左衛門死後に江川家から郷雲翻訳書の献上願いがなされ,書目が判明。サハルト著『警備術原』,同『窮理実験陸用砲術全書』,サロモン著『撒羅満氏産論』,他に『青銅及び鋳鉄を溶解する反射炉を録す』がある。以上の経歴業績から同4年,勝海舟が蕃書調所開設に備えた教職員候補手控えに,在府中の洋学者として記されたとみえる。江戸本所江川邸で死去。子の良吉は植物学者。<参考文献>鳥羽山瀚『江川坦庵全集』,原平三「蕃所調所の創設」(『幕末洋学史の研究』)
(岩崎鐵志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報