矢野目村(読み)やのめむら

日本歴史地名大系 「矢野目村」の解説

矢野目村
やのめむら

[現在地名]米沢市窪田町矢野目くぼたまちやのめ

窪田村の西に位置し、西を鬼面おもの川、東をまつ川に挟まれた両川の合流点の南方平地に立地。鬼面川は流路変更が激しく、江戸時代には成島なるしま村で東に折れ、塩野しおの宮井みやい中田なかだ窪田などの村々を経て浅川あさかわ村の戸塚とづか山麓松川に合流していたとされ(旧米沢市史)、当地は氾濫原地帯であったとみられる。中世には谷目・谷野目とも書かれた。戦国時代には上長井のうち。

永正一二年(一五一五)一一月一六日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によれば、中村五郎よりの買地である「上長井谷目郷之内、居屋式与三左衛門作田千二百苅」を山路藤七に安堵している。同一一年四月二三日、中納言某が輪王りんのう(伊達氏菩提寺)に「矢之目郷内一宇」などを寄進(伊達正統世次考)


矢野目村
やのめむら

[現在地名]天童市矢野目

天童村の西に隣接し、北部を倉津くらづ川が西流する。北は小関こせき村。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録では高一千石余。寛永検地による定納一紙(佐藤文書)では高九八〇石余、田四三町余・畑二五町九反余で、ほかに山形宝幢ほうどう寺領一三六石余・若松じやくしよう寺領二五石余があった。正保郷帳では田方八九〇石余・畑方一〇九石余・寺社領一六一石余。


矢野目村
やのめむら

康安元年(一三六一)一二月一五日の吉良治家免許状(国魂文書)に「岩城郡平窪・矢野目両村并国魂村内」とみえ、大国魂おおくにたま神社神主知行分があり、国衙正税以下年貢を免除されている。天正一九年(一五九一)三月一二日の島田重政書状(如来寺文書)によれば、如来によらい寺に「矢目村之内を以、弐拾石」が寺領として与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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