日本歴史地名大系 「知覧郷」の解説
知覧郷
ちらんごう
鹿児島藩の近世外城の一つ。
文禄四年(一五九五)種子島久時の私領となるが、慶長四年(一五九九)島津氏直轄領(のち鹿児島藩直轄領)となる(種子島家譜)。同一五年に中世の知覧領主佐多氏の支配が復活、これは一二代佐多忠充の時のことである(佐多氏系図)。寛文四年の郡村高辻帳によれば郷高は六千八三八石余となり、忠充に給与されたのはわずか二千三〇〇石余(本藩人物誌)。知覧本領の一部の知行であったが、忠充は同時に知覧地頭に任命されており、実質的には支配者としての地位を回復した。忠充は城下士として鹿児島城下に居住し、知覧には一族の久信を地頭代として派遣している(同書・佐多氏系図)。知覧郷が佐多氏の私領になるのは、延宝五年(一六七七)一六代佐多久達の時からである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報