石坂町(読み)いつさかまち

日本歴史地名大系 「石坂町」の解説

石坂町
いつさかまち

[現在地名]金沢市野町のまち二丁目

犀川左岸、野町通に並行する両側町で地子町。助九郎すけくろ町の南西にあり、南西は南石坂町。町名は、もと石坂村の村地であったが相対請地として町家が立てられたことによる。元禄九年(一六九六)の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)にはすでに町名がみえ、享保一二年(一七二七)二月には石坂村の家続きより町家願が出され新家建築が許可されている(年代摘要)。文化八年(一八一一)肝煎は新右衛門、組合頭は宮腰屋与兵衛・米光屋加平・八幡屋与兵衛・小松屋専三郎・豆腐屋甚右衛門、家数三四一(うち武家一〇五)町人のうち職人はたばこのし一一、大工七、樽・桶屋と木挽が各五のほか、扇子紺屋機織、畳刺、きせる師など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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