石塚英蔵(読み)イシズカ エイゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「石塚英蔵」の解説

石塚 英蔵
イシズカ エイゾウ


肩書
枢密顧問官,台湾総督,貴院議員(勅選)

生年月日
慶応2年7月23日(1866年)

出生地
江戸

出身地
福島県

学歴
帝大法科大学〔明治23年〕卒

経歴
明治23年内閣法制局参事官、24年同書記官兼任。韓国政府顧問官、台湾総督府参事官長、関東州民政署民政長官などを経て、39年関東都督府民政長官に就任。その後総監府参与官、朝鮮総督府取調局長官、同農工商部長官などを歴任、大正5年東洋拓殖会社総裁となった。同年勅選貴族院議員となり、昭和9年4月まで務めた。この間、昭和4年浜口内閣により台湾総督に任命された。6年霧社事件の責任を取り退官、9年枢密顧問官となる。

没年月日
昭和17年7月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「石塚英蔵」の解説

石塚 英蔵
イシヅカ エイゾウ

明治〜昭和期の官僚 枢密顧問官;台湾総督;貴院議員(勅選)。



生年
慶応2年7月23日(1866年)

没年
昭和17(1942)年7月28日

出生地
江戸

出身地
福島県

学歴〔年〕
帝大法科大学〔明治23年〕卒

経歴
明治23年内閣法制局参事官、24年同書記官兼任。韓国政府顧問官、台湾総督府参事官長、関東州民政署民政長官などを経て、39年関東都督府民政長官に就任。その後総監府参与官、朝鮮総督府取調局長官、同農工商部長官などを歴任、大正5年東洋拓殖会社総裁となった。同年勅選貴族院議員となり、昭和9年4月まで務めた。この間、昭和4年浜口内閣により台湾総督に任命された。6年霧社事件の責任を取り退官、9年枢密顧問官となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「石塚英蔵」の解説

石塚英蔵

没年:昭和17.7.28(1942)
生年:慶応2.7.23(1866.9.1)
明治大正,昭和前期の官僚。会津藩(福島県)藩士の子。一高,帝大法科卒。司法省法制局を振り出しに,明治31(1898)年台湾総督府参事官長に赴任。児玉源太郎総督いわく「後藤(新平)は民政,石塚は法制,我輩軍政」と。のち関東都督府民政長官,朝鮮総督府農商工部長官などを経て,大正5(1916)年東洋拓殖会社総裁,同年貴族院議員。昭和4(1929)年浜口内閣により台湾総督となるが,6年,台湾の原住少数民族が日本に抗して武装蜂起した霧社事件(1930)の責任をとって辞任。9年から没時まで枢密顧問官。

(安岡昭男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石塚英蔵」の解説

石塚英蔵 いしづか-えいぞう

1866-1942 明治-昭和時代前期の官僚。
慶応2年7月23日生まれ。明治23年内閣法制局にはいり,中国,朝鮮の民政にたずさわる。大正5年から貴族院議員,東洋拓殖総裁。昭和4年台湾総督となるが,翌年台湾先住民族の武装蜂起(ほうき)(霧社事件)がおき,6年辞任。9年枢密顧問官。昭和17年7月28日死去。77歳。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「石塚英蔵」の解説

石塚 英蔵 (いしづか えいぞう)

生年月日:1866年7月23日
明治時代-昭和時代の官僚;政治家。貴族院議員;東洋拓殖会社総裁
1942年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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