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石崎文雅 いしざき

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美術人名辞典の解説

石崎文雅

江戸後期の国学者。伊勢の人。通称多門、字は大卿、号は長沙。京都で香川太沖に医学を、谷子鸞に経書を学ぶ。国史・神道・星暦・物産にも精通した。寛政11年(1799)歿、77才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石崎文雅 いしざき-ふみまさ

1723-1799 江戸時代中期-後期の国学者。
享保(きょうほう)8年生まれ。家職は伊勢神宮外宮(げくう)祠官の代官。京都の香川修庵に医学をまなび,生地伊勢(三重県)山田で開業。のちふたたび京都で儒者谷麋山(びざん)に師事。国史,暦学,物産などにもひろく通じた。寛政11年8月20日死去。77歳。本姓は一志。字(あざな)は大卿。号は長沙。著作に「神廷紀年」「日本紀臆断」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

石崎文雅

没年:寛政11.8.20(1799.9.19)
生年:享保8(1723)
江戸中期の国学者,漢学者。幼名多門。字は大卿。伊勢山田(伊勢市)の御師久保氏の下役石崎尚昌の子に生まれたが,家職を継がず京都に出て,儒医一本説を唱えた儒医香川修庵に医学を学び,伊藤東涯に師事した谷麋山を儒学の師とした。国史,神道,星暦,物産などにも広く精通した。<著作>『日本紀臆断』『外宮儀式帳私考』

(白石良夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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