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石川康勝 いしかわ やすかつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石川康勝 いしかわ-やすかつ

?-1615 織豊-江戸時代前期の武将。
石川数正の次男。はじめ結城(ゆうき)秀康にしたがい,のち父とともに羽柴(はしば)(豊臣)秀吉につかえる。文禄(ぶんろく)元年(1592)1万5000石を相続。関ケ原の戦いでは徳川方につく。のち兄石川三長不祥事に連座し改易となる。大坂の陣を豊臣方でたたかい,慶長20年戦死した。名は別に員(数)矩(かずのり)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

石川康勝

没年:元和1(1615)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。通称は肥後守。諱は員矩,達安とも。石川数正の次男。天正12(1584)年豊臣秀吉の養子となる徳川於義丸(秀康)に従い,兄三長と大坂に赴く。文禄1(1592)年朝鮮の役には父と共に肥前名護屋に滞陣した。同年12月,父の遺領のうち1万5000石を分知される。慶長5(1600)年関ケ原の戦には東軍に属す。同18年豊国祭礼に豊臣秀頼の名代として参詣しており,秀頼側近の可能性を指摘されている。同年大久保長安事件に兄三長が連座,康勝も改易された。翌年大坂冬の陣に際して大坂城に入る。元和1(1615)年夏の陣で討死。<参考文献>『信濃史料』17巻,山鹿素行武家事紀

(平野明夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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