石川麟洲(読み)いしかわ りんしゅう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川麟洲」の解説

石川麟洲 いしかわ-りんしゅう

1707-1759 江戸時代中期の儒者
宝永4年8月15日生まれ。石川彦岳(げんがく)の父。京都の人。向井滄洲(そうしゅう),堀南湖にまなぶ。元文4年(1739)豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)にまねかれ儒官となり,のち藩校思永斎(思永館)の学頭著書「弁道解蔽(かいへい)」で荻生徂徠(おぎゅう-そらい)をはじめて批判したことで知られる。宝暦9年閏(うるう)7月13日死去。53歳。名は正恒(まさつね)。字(あざな)は伯毅。通称は平兵衛。著作に「童子問弁妄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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