石手川(読み)いしてがわ

日本歴史地名大系 「石手川」の解説

石手川
いしてがわ

越智おち玉川たまがわ町・北条市・松山市の境をなす北三方きたさんぽうもり(九七七・六メートル)から伊之子いのこ(八七二・四メートル)明神みようじんもり(一二一六・九メートル)などを結んで東南に走る稜線の西麓から流れ出す多くの谷川が、松山市湯山ゆやまで石手川を形成し、山間地を屈曲しつつ西南に流下する。途中に近年石手川ダムが形成され、次いで沿岸に奥道後温泉郷を栄えさせている。松山平野に入っては四国八十八ヵ所の五一番札所石手寺の南から松山市街地の東南辺を流れて西南に向かい、松山市余戸ようごの南部で重信しげのぶ川に合流、西に流れて伊予灘に注ぐ。長さ三〇キロ余。

古くは湯山ゆのやま川とよび、加藤嘉明の松山城下町建設の時、大改修によって流路が変更された。もとの流路は、石手村の岩堰いわぜきから湯築ゆづき城跡の傍らを過ぎ、持田もちだ村のほぼ中央部を横断し、城下二番にばん町・南堀端みなみほりばたを通り、西流して吉田よしだ浜に注いでいた。日下部伊織(享保頃)の記した「古今紀聞」によると、「往古石手川此城山にそひて流れたりといふ、(中略)二番町北側東より三軒目早水大七方に大なる榎あり、枝をおろすことをせず、至つての古木なり、(中略)是往古の土手堤の榎なりといふ」と述べているので、その面影をしのぶことができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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