日本歴史地名大系 「石榑庄」の解説
石榑庄
いしぐれのしよう
員弁川の西、同河川支流
領家職が久我家のものになった経緯は不明であるが、観応元年(一三五〇)八月一三日付久我長通譲状(同文書)に「根本家領」とあり、寛正三年(一四六二)一一月二六日付久我家備進文書目録(同文書)によると、元暦二年(一一八五)九月一九日付の院宣があったことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
員弁川の西、同河川支流
領家職が久我家のものになった経緯は不明であるが、観応元年(一三五〇)八月一三日付久我長通譲状(同文書)に「根本家領」とあり、寛正三年(一四六二)一一月二六日付久我家備進文書目録(同文書)によると、元暦二年(一一八五)九月一九日付の院宣があったことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...