朝日日本歴史人物事典 「石河正養」の解説
石河正養
生年:文政4.8.2(1821.8.29)
幕末明治前期の国学者。通称は半蔵,喜三二など。号は多頭廼舎,審斎。津和野藩(島根県)藩士越智盛宣の子。同藩士石河正幸の養子となり,その娘諫子を娶って家を継ぐ。初め国学を藩の岡熊臣,大国隆正に学び,平田篤胤没後の門人となる。藩校養老館で国学教官を務め,維新後は東京に出て教導職(1872年政府が宗教による国民教化のために置いた職員)に就いた。墓所は東京青山墓地。<著作>『産土氏神考』『大祓私釈』『多頭廼舎歌文集』
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報