岡熊臣(読み)おか・くまおみ

朝日日本歴史人物事典 「岡熊臣」の解説

岡熊臣

没年嘉永4.8.6(1851.9.1)
生年天明3.3.9(1783.4.10)
江戸後期の神官,国学者。没日は一説に5日。名は真人ともいう。通称,蔵之助(内蔵助)。号は桜廼舎。石見国富長山八幡宮(島根県津和野町)神官の家に生まれる。初め出雲国造家千家俊信に師事した。のち平田篤胤に学ぶ。古典学に通じ和歌,文章をよくしたが,本領は平田派の古学であり,故実学に詳しく律令格式を究めた。嘉永2(1849)年,津和野藩主亀井茲監によって藩校養老館の国学教授に抜擢されて帰郷大国隆正と共に津和野本学運動を唱道して,藩改革運動の精神的指導者となった。<著作>『日本書紀私伝』『柿本人麻呂事蹟考弁』『千代のすみか』<参考文献>宮崎幸麿「贈従四位岡熊臣小伝」(『神ながら』4巻8号)

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡熊臣」の解説

岡熊臣 おか-くまおみ

1783-1851 江戸時代後期の国学者,神職
天明3年3月9日生まれ。千家俊信(としざね),平田篤胤(あつたね)らにまなぶ。郷里の石見(いわみ)木部(島根県津和野町)で私塾桜蔭館をひらいて著述にはげみ,嘉永2年津和野藩校養老館の国学教授となる。神葬祭復興運動をおこした。嘉永4年8月6日死去。69歳。初名は忠栄,真人。通称は蔵之助。号は桜廼舎,東嶺。著作に「柿本人麿事跡考弁」「日本書紀私伝」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡熊臣」の意味・わかりやすい解説

岡熊臣
おかくまおみ

[生]天明3(1783).3.9.
[没]嘉永4(1851).8.6.
江戸時代後期の国学者。平田派に学び,兵法に長じる。津和野藩校教授。大国隆正とともに津和野本学の確立努力著書『日本書紀私伝』 (81巻) ,『兵制新書』。

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367日誕生日大事典 「岡熊臣」の解説

岡熊臣 (おかくまおみ)

生年月日:1783年3月9日
江戸時代後期の神官;国学者
1851年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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