朝日日本歴史人物事典 「岡熊臣」の解説
岡熊臣
生年:天明3.3.9(1783.4.10)
江戸後期の神官,国学者。没日は一説に5日。名は真人ともいう。通称,蔵之助(内蔵助)。号は桜廼舎。石見国富長山八幡宮(島根県津和野町)神官の家に生まれる。初め出雲国造家千家俊信に師事した。のち平田篤胤に学ぶ。古典学に通じ和歌,文章をよくしたが,本領は平田派の古学であり,故実学に詳しく律令格式を究めた。嘉永2(1849)年,津和野藩主亀井茲監によって藩校養老館の国学教授に抜擢されて帰郷。大国隆正と共に津和野本学運動を唱道して,藩改革運動の精神的指導者となった。<著作>『日本書紀私伝』『柿本人麻呂事蹟考弁』『千代のすみか』<参考文献>宮崎幸麿「贈従四位岡熊臣小伝」(『神ながら』4巻8号)
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報