石津亮澄(読み)いしづ・すけずみ

朝日日本歴史人物事典 「石津亮澄」の解説

石津亮澄

没年天保11.2.9(1840.3.12)
生年:安永8(1779)
江戸後期の歌人,国学者。通称并輔。号は富草屋,米居。大坂の人。尾崎雅嘉,本居大平に師事。独自の学を樹立するには至らず,特に私淑した契沖の著書校訂出版した点に功があり,『漫吟集類題』はその最たるものである。貞柳の狂歌を編集した『柳翁狂歌類題』には,雅俗双方に通じた亮澄の好みが窺える。大坂歌壇で重要な位置にあったが,和歌は各種類題集にみえる程度で,家集は『富草屋集』などの歌稿が若干伝存するのみである。<参考文献>飯田正一「石津亮澄とその歌集」(『国文学』(関西大学)28号)

(久保田啓一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石津亮澄」の解説

石津亮澄 いしづ-すけずみ

1779-1840 江戸時代後期の歌人,国学者。
安永8年10月13日生まれ。和歌を尾崎雅嘉(まさよし)に,国学を本居大平(もとおり-おおひら)にまなび,大坂唐物町に塾をひらいた。天保(てんぽう)11年2月9日死去。62歳。摂津曾根崎(大阪府)出身。通称は并輔。号は富草屋,米居。著作に「徒然草(つれづれぐさ)新釈」「夫木和歌集古調」など。

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367日誕生日大事典 「石津亮澄」の解説

石津亮澄 (いしづすけずみ)

生年月日:1779年10月13日
江戸時代後期の歌人;国学者
1840年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報