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石津亮澄 いしづ すけずみ

美術人名辞典の解説

石津亮澄

江戸後期の歌人。摂津生。名は亮澄、通称は並輔、号を富草屋・米居。尾崎雅嘉に和歌を、本居大平に国学を学び、唐物町中橋で歌学を教授した。『徒然草新釈』『夫木和歌抄古調』『晩花和歌』等著書多数ある。天保11年(1840)歿、62才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石津亮澄 いしづ-すけずみ

1779-1840 江戸時代後期の歌人,国学者。
安永8年10月13日生まれ。和歌を尾崎雅嘉(まさよし)に,国学を本居大平(もとおり-おおひら)にまなび,大坂唐物町に塾をひらいた。天保(てんぽう)11年2月9日死去。62歳。摂津曾根崎(大阪府)出身。通称は并輔。号は富草屋,米居。著作に「徒然草(つれづれぐさ)新釈」「夫木和歌集古調」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

石津亮澄

没年:天保11.2.9(1840.3.12)
生年:安永8(1779)
江戸後期の歌人,国学者。通称并輔。号は富草屋,米居。大坂の人。尾崎雅嘉,本居大平に師事。独自の学を樹立するには至らず,特に私淑した契沖の著書を校訂出版した点に功があり,『漫吟集類題』はその最たるものである。貞柳の狂歌を編集した『柳翁狂歌類題』には,雅俗双方に通じた亮澄の好みが窺える。大坂歌壇で重要な位置にあったが,和歌は各種類題集にみえる程度で,家集は『富草屋集』などの歌稿が若干伝存するのみである。<参考文献>飯田正一「石津亮澄とその歌集」(『国文学』(関西大学)28号)

(久保田啓一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

367日誕生日大事典の解説

石津亮澄 (いしづすけずみ)

生年月日:1779年10月13日
江戸時代後期の歌人;国学者
1840年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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