石淵寺(読み)いわぶちでら

日本歴史地名大系 「石淵寺」の解説

石淵寺
いわぶちでら

[現在地名]奈良市白毫寺

寺跡は明らかでないが、高円たかまど山の麓、白毫びやくごう寺の南から東方山中にかけた地域にあったと考えられる古代寺院。護国寺本「諸寺縁起集」所収の「法華八講縁起」に延暦年中(七八二―八〇六)大安だいあん(現奈良市)の僧永高の没後勤操大衆に告げて解深密経一部五巻を写し、五日間石淵寺でこの経を講じて四九日忌に終わったことがみえる。さらに永高の弟子教寂が大安寺正法蔵院の経を移送する際に、法華経の一部八巻を見いだし、勤操が大衆にこの経を写させ、八日間法華八講を誦することを定めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報