単立。かつては真言律宗に属した。照東山と号し、本尊は聖徳太子立像。太子堂と通称される。寺伝によれば、初め東山知恩院総門北側の東にあったといい、知恩院開創の時に当地に移ったという(山州名跡志)。知恩院北の菩薩戒
畢」とあるのをはじめ、「応仁記」には「粟田口ニハ太子堂白毫院」とみえる。現在地への移転について「山城名勝志」の知恩院の項は、「此地旧房狭少ナリシヲ慶長始基跡ヲ開キ其地ニアル常在光院・速成就院太子堂及親鸞上人墳寺等被
遷
処々
」と記し、慶長八年(一六〇三)の知恩院拡大に際しての移転であったことを述べる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良市白毫寺町にある真言(しんごん)律宗に属する寺。山号は高円山(たかまどさん)。一切経寺(いっさいきょうじ)ともよばれる。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。弘法大師(こうぼうだいし)の師勤操僧都(ごんそうそうず)が建立した石淵(岩淵)(いわぶち)寺の一院で、715年(霊亀1)天智(てんじ)天皇第7皇子志貴(しき)親王の山荘を寺としたという。鎌倉初期、興正菩薩(こうしょうぼさつ)叡尊(えいぞん)が再興、その弟子道照(どうしょう)が中国より一切経を持ち帰り、庶民の菩提(ぼだい)を弔ったので庶民信仰も盛んであったという。現在も4月8日に一切経法要が営まれる。寛永(かんえい)年間(1624~44)空慶が再興、御朱印寺として江戸幕府より50石の禄(ろく)を受けた。現在、境内には本堂、御影(みえい)堂を残すのみである。宝物には本尊の木造阿弥陀如来坐像(ざぞう)をはじめ、木造の閻魔(えんま)王坐像、太山(たいさん)王(康円作)・司命(しめい)・司録(しろく)の閻魔一族の像、興正菩薩叡尊坐像、地蔵菩薩像、菩薩坐像(伝文殊(もんじゅ)菩薩像)など(以上すべて国重要文化財)がある。境内の樹齢400年の五色椿(ごしきつばき)は県天然記念物。
[大鹿実秋]
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