白毫寺(読み)ビャクゴウジ

デジタル大辞泉 「白毫寺」の意味・読み・例文・類語

びゃくごう‐じ〔ビヤクガウ‐〕【白毫寺】

奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺。山号高円たかまど山。霊亀元年(715)天智天皇の皇子志貴親王の山荘を寺としたと伝える。開基勤操ごんそう鎌倉時代に道照によって中国から一切経巻が伝えられたので、一切経寺ともいう。

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精選版 日本国語大辞典 「白毫寺」の意味・読み・例文・類語

びゃくごう‐じ ビャクガウ‥【白毫寺】

奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺。山号は高円(たかまど)山。霊亀元年(七一五)天智天皇の第七皇子志貴親王の山荘を寺としたのが始まりと伝えられる。開山は勤操(ごんぞう)。道照が宋から請来した一切経を安置するところから、一切経寺とも呼ばれる。

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日本歴史地名大系 「白毫寺」の解説

白毫寺
びやくごうじ

[現在地名]奈良市白毫寺町

高円たかまど山中腹に所在。高円山と号し、真言律宗。本尊は木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)。天智天皇の皇子志貴親王の離宮(山荘)を寺としたと伝えられ、岩淵いわぶち(石淵寺か)の一院となったという。建武二年(一三三五)の「南都白毫寺一切経縁起」によれば、鎌倉時代に奈良西大寺の叡尊が当寺を再興し、その弟子道照が一切経転読を発願、のち宋から一切経が将来されて、恒例の白毫寺一切経の転読が行われるようになったという。しかし山城興聖こうしよう(現京都府宇治市)が所蔵する優婆塞戒経修三十二相業品第六の奥跋には「承久二年十月十七日白毫寺一切経之内一校了 奉書写畢 僧心西」とあるので、白毫寺一切経は道照が転読を発願する以前から存在したとみられる。

白毫寺
びやくごうじ

[現在地名]市島町白毫寺

五大ごだい(五六九・二メートル)の東麓にある天台宗寺院。五大山と号し、本尊薬師如来。慶雲二年(七〇五)法道の開基と伝える(丹波志)。寺伝によると近江延暦寺三世座主円仁が来訪の際、周囲の山が唐の五台山に似ており、本尊の薬師如来像が眉間白毫で瑞光を放っていたことから、五大山白毫寺と号したと伝える(「氷上郡志」など)。鎌倉時代には七堂伽藍が甍を競い四八堂坊を擁して隆盛を極めたという(「丹波志」など)

白毫寺
びやくごうじ

[現在地名]下京区本塩竈町

単立。かつては真言律宗に属した。照東山と号し、本尊は聖徳太子立像。太子堂と通称される。寺伝によれば、初め東山知恩院総門北側の東にあったといい、知恩院開創の時に当地に移ったという(山州名跡志)。知恩院北の粟田口あわたぐちにあった時代の姿は、「感身学正記」弘安二年(一二七九)一〇月三日条に「於白毫寺一百十九人授菩薩戒畢」とあるのをはじめ、「応仁記」には「粟田口ニハ太子堂白毫院」とみえる。現在地への移転について「山城名勝志」の知恩院の項は、「此地旧房狭少ナリシヲ慶長始基跡ヲ開キ其地ニアル常在光院・速成就院太子堂及親鸞上人墳寺等被処々」と記し、慶長八年(一六〇三)の知恩院拡大に際しての移転であったことを述べる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白毫寺」の意味・わかりやすい解説

白毫寺
びゃくごうじ

奈良市白毫寺町にある真言(しんごん)律宗に属する寺。山号は高円山(たかまどさん)。一切経寺(いっさいきょうじ)ともよばれる。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。弘法大師(こうぼうだいし)の師勤操僧都(ごんそうそうず)が建立した石淵(岩淵)(いわぶち)寺の一院で、715年(霊亀1)天智(てんじ)天皇第7皇子志貴(しき)親王の山荘を寺としたという。鎌倉初期、興正菩薩(こうしょうぼさつ)叡尊(えいぞん)が再興、その弟子道照(どうしょう)が中国より一切経を持ち帰り、庶民の菩提(ぼだい)を弔ったので庶民信仰も盛んであったという。現在も4月8日に一切経法要が営まれる。寛永(かんえい)年間(1624~44)空慶が再興、御朱印寺として江戸幕府より50石の禄(ろく)を受けた。現在、境内には本堂、御影(みえい)堂を残すのみである。宝物には本尊の木造阿弥陀如来坐像(ざぞう)をはじめ、木造の閻魔(えんま)王坐像、太山(たいさん)王(康円作)・司命(しめい)・司録(しろく)の閻魔一族の像、興正菩薩叡尊坐像、地蔵菩薩像、菩薩坐像(伝文殊(もんじゅ)菩薩像)など(以上すべて国重要文化財)がある。境内の樹齢400年の五色椿(ごしきつばき)は県天然記念物。

[大鹿実秋]

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百科事典マイペディア 「白毫寺」の意味・わかりやすい解説

白毫寺【びゃくごうじ】

奈良市,高円(たかまど)山中腹にある真言律宗の寺。天智天皇の皇子志貴親王の山荘を没後寺としたもので,勤操(ごんぞう)の開基と伝える。多宝塔本尊の文殊菩薩像(平安前期)のほか,本堂本尊の阿弥陀如来座像等鎌倉期の諸像がある。

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