三重県北部、員弁郡(いなべぐん)にあった旧町名(大安町(ちょう))。現在はいなべ市の南部を占める一地域。1959年(昭和34)梅戸井(うめどい)町と三里(みさと)村が合併して成立。1963年石加(いしか)村を編入。2003年(平成15)北勢(ほくせい)町、員弁町、藤原(ふじわら)町と合併、市制施行していなべ市となる。員弁川中流右岸に位置する。大安の地名は古代、奈良の大安寺領であったことに由来する。西は鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)で、竜ヶ岳(1100メートル)の山麓(さんろく)から宇賀(うが)川が流れ、その扇状地、段丘、河谷平野は水田地帯となっている。地域の東端を三岐鉄道(さんぎてつどう)三岐線が貫き、四日市(よっかいち)市富田(とみだ)へ通じる。また国道306号、365号、421号も走る。近年、住宅化、工業化が進み、1982年には従業員数5000人を目標とした日本電装(現、デンソー)大安製作所が立地した。そのほか、東山、中尾の各工業団地にも工場が進出している。西部は鈴鹿国定公園の一部で宇賀渓がある。
[伊藤達雄]
六曜の一つで大吉日。婚姻,移転,建築,旅行,新規事業の開始など,すべてのことに終日吉とされる。万事大吉で,成功しないことはないという。大安吉日に結婚式を行うことは,友引の日に葬式を行わないこととともに,現在最も広く受け入れられた習俗となっている。六曜は,室町時代初期に中国から伝わった暦注で,李淳風の《六壬時課(ろくじんじか)》に由来するとされ,それに基づく小六壬(しようろくじん)にすでに大安の名称がみえている。この当時は時刻の占いであったが,後に日の吉凶の要素が強くなった。六曜は,1685年(貞享2)以後の官許の暦法による貞享暦に記載はなく,それ以前の宣明暦にもない。一般に広まるのは,江戸時代の末期で,明治時代以後,手軽な吉凶見として急速に広まった。とくに大安は,祝事の日どりを決める基準として,広く受け入れられている。
→六曜
執筆者:鈴木 正崇
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…暦注の一種で,日の吉凶をみるのに使われる。六曜星の略で,六輝ともいい,先勝(せんしよう∥せんかち),友引(ともびき),先負(せんぶ∥せんまけ),仏滅(ぶつめつ),大安(たいあん),赤口(しやつく∥しやつこう)の6星を,順番どおり旧暦各月の朔日に配当し,正月・7月は先勝,2月・8月は友引,3月・9月は先負,4月・10月は仏滅,5月・11月は大安,6月・12月は赤口として,2日以下は六曜の順序に従って機械的に充当する。起源は,中国唐代の暦算学者,李淳風の《六壬時課(ろくじんじか)》とされ,日本には室町時代初期ごろに伝わり,小六壬(しようろくじん)といわれ,大安,留連(りゆうれん),速喜(そくき),赤口,将吉,空亡(くうぼう)の六つで時刻の占いであった。…
※「大安」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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