20世紀日本人名事典 「石田平吉」の解説 石田 平吉イシダ ヘイキチ 明治・大正期の実業家 衆院議員(憲政会)。 生年嘉永6年(1853年) 没年昭和4(1929)年11月18日 出身地筑前国(福岡県) 経歴福岡藩の陪臣の家に生まれ、漢学を学ぶ。明治維新ののち福岡で商業を営んだが失敗に帰す。明治7年博多に移り海運業を始め、岩崎弥太郎を東京に訪ね三菱汽船の博多寄港の協力を得る。西南戦争では陸軍輸送に従事し、22年九州鉄道敷設の際には建築材料の運搬事業で成功を収める。のち門司に移って下関間の航海業を開始して事業を拡大、門司に私設水道を敷設する。門司市議を経て、41年から衆院議員(憲政会)に当選2回。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石田平吉」の解説 石田平吉 いしだ-へいきち 1853-1929 明治-大正時代の実業家,政治家。嘉永(かえい)6年生まれ。明治7年博多(はかた)で海運業をはじめ,岩崎弥太郎(やたろう)の協力をえる。西南戦争と九州鉄道敷設の際の運輸事業で成功。門司市会議員をへて,41年衆議院議員(当選2回,憲政会)。昭和4年11月18日死去。77歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by