朝日日本歴史人物事典 「石田正澄」の解説
石田正澄
生年:生年不詳
戦国・安土桃山時代の武将。近江国坂田郡石田村(長浜市)生まれ。隠岐守石田正継の子で,三成の兄。三成が豊臣秀吉に重く用いられたのにともなって秀吉に仕え,文禄の役(1592~96)には肥前名護屋城に駐屯し,警備に当たった。文禄2年には従五位下・木工頭に叙任。一時,堺の町奉行を務めたこともあるが,豊臣政権下で目立った動きはなく,近江・河内のうちで2万5000石を領するにとどまっている。慶長5(1600)年の関ケ原の戦には,父正継らと三成の本城である佐和山城を守り,小早川秀秋らの攻撃をうけて自刃して果てた。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報