石黒政常(読み)いしぐろ・まさつね

朝日日本歴史人物事典 「石黒政常」の解説

石黒政常

没年:文政11.7(1828)
生年:延享3(1746)
江戸後期の装剣金工家。幼名は善蔵,のちに周助と名乗った。別号に東岳子,石黒斎,石黒翁,寿谷斎など。はじめ江戸神田三河町に住む加藤直常門下となり,是常の名を許され,さらに直常の師である柳川直政にも師事して修業を重ねた。独立後,両師から政の字と常の字の免許を得て政常と改名し,晩年の還暦後には寿命と号した。江戸呉服町に住む。作品の制作は鐔をはじめ縁頭,小柄,笄,目貫など小道具類全般にわたり,赤銅魚々子地に花鳥を金,銀,四分一などの色金を用いて見事な高肉彫りで表したものが多い。写実的で華麗な作風は,当時流行の浮世絵趣味に通ずるところがある。横谷派の名工として知られ,石黒派開祖となった。是常,政美,是美,政明ら一門の弟子の養成にも力を注ぎ,特にその直系は3代政常(1868没?)まで続いた。

(加島勝)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石黒政常」の解説

石黒政常(初代) いしぐろ-まさつね

1760-1828 江戸時代中期-後期の装剣金工。
宝暦10年生まれ。加藤直常に入門,その師柳川直政に横谷派の金工術をまなぶ。おおくの色金をもちい写実的かつ精巧に花鳥をほる石黒派の始祖となった。文政11年7月14日死去。69歳。初名は是常。通称は善蔵,周助。号は東岳子,寿谷斎など。

石黒政常(3代) いしぐろ-まさつね

?-1868? 幕末の装剣金工。
2代石黒政常の子。初代政常の高弟石黒政広にまなんだ。号に東良斎,仙遊子などをもちいた。明治元年?死去。江戸出身。初名は恵常。通称は銀之助。

石黒政常(2代) いしぐろ-まさつね

?-? 江戸時代後期の装剣金工。
初代石黒政常の子。文政12年(1829)父の跡をつぐ。東岳子,寿岳斎,寿谷斎の号をもちいた。初名は政守,盛常。通称は民之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石黒政常」の意味・わかりやすい解説

石黒政常
いしぐろまさつね

[生]延享3(1746).江戸
[没]文政11(1828).7. 江戸
江戸時代後期の装剣金工。通称善蔵,のち周助。石黒斎,東岳子,寿谷斎,葉庵などの号がある。江戸横谷派に属し石黒派の開祖。鐔 (つば) や小柄 (こづか) などに写生風の花鳥文様を彫る。3代まで続くが,初代が名工。門人に政美,政明がいる。

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