朝日日本歴史人物事典 「石黒政常」の解説
石黒政常
生年:延享3(1746)
江戸後期の装剣金工家。幼名は善蔵,のちに周助と名乗った。別号に東岳子,石黒斎,石黒翁,寿谷斎など。はじめ江戸神田三河町に住む加藤直常の門下となり,是常の名を許され,さらに直常の師である柳川直政にも師事して修業を重ねた。独立後,両師から政の字と常の字の免許を得て政常と改名し,晩年の還暦後には寿命と号した。江戸呉服町に住む。作品の制作は鐔をはじめ縁頭,小柄,笄,目貫など小道具類全般にわたり,赤銅魚々子地に花鳥を金,銀,四分一などの色金を用いて見事な高肉彫りで表したものが多い。写実的で華麗な作風は,当時流行の浮世絵趣味に通ずるところがある。横谷派の名工として知られ,石黒派の開祖となった。是常,政美,是美,政明ら一門の弟子の養成にも力を注ぎ,特にその直系は3代政常(1868没?)まで続いた。
(加島勝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報