砥沢村(読み)とざわむら

日本歴史地名大系 「砥沢村」の解説

砥沢村
とざわむら

[現在地名]南牧村砥沢

村央を南牧川が東流し、南は大仁田おおにた村、東は六車むくるま村、西は羽沢はざわ村に接する。南牧川沿いに南牧道が通り、関所が設けられていた。永禄一〇年(一五六七)八月七日の小沢行重等連署起請文(生島足島神社文書)に南牧衆として連署している市川氏は当地に居住し、元和九年(一六二三)より砥山請負人(元文三年「上野砥由緒書上帳」浅川文書など)となり、分家筋にあたる羽沢村の市川家は南牧関所の関守となっている。羽沢の市川氏からは信州佐久さく郡の五郎兵衛ごろべえ新田(現長野県北佐久郡浅科村)開発者が出る。村名は幕府の御蔵砥としての砥山に関係し、砥山は幕府の厚い保護を受けていた。近世はおおむね幕府領。村方と砥山方の名主が置かれていた。寛文郷帳には日影ひかげ砥沢村と日向ひなた砥沢村の二村がみえ、両村の合計高一一一石余はすべて畑方。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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