硲田村
はざまだむら
[現在地名]寺泊町硲田
北は下桐村、南は五分一村。集落は三島丘陵の西辺にあり、島崎川の沖積平地を西に望む。正保国絵図に高一五二石余で幕府領。慶安二年(一六四九)以降幕末まで村上藩領。文政七年(一八二四)の御案内帳(原田仁一郎家文書)によると、明暦三年(一六五七)に検地があり、高二六一石余を検出。文政七年の戸口は二四軒・一六一人。同案内帳によると、島崎川の沖積平地に面しているため、洪水防止施設は多く、島崎川沿いの川除堤一三〇間、木島・下桐・鰐口・硲田四ヵ村を囲む柳場堤三二〇間・新土手堤四七五間などがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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