戸崎村(読み)とざきむら

日本歴史地名大系 「戸崎村」の解説

戸崎村
とざきむら

[現在地名]君津市戸崎

大河原(おおがわら)村の西方、小櫃(おびつ)川中流左岸に位置する。西は上総丘陵の稜線を越え周淮(すえ)郡法木(ほうぎ)村へ一里ほど、北は佐野(さの)村(現木更津市)へ一五町ほど、南は岩出(いわで)村へ通じる道がある。天正八年(一五八〇)一二月一九日に里見義頼が岡本兵部少輔に亀山(かめやま)在城分として「戸崎之郷」を与えている(「里見義頼判物写」武州文書)。

文禄三年(一五九四)の上総国村高帳には「戸塚村」(誤記か)とあり、高九六六石。正保国絵図に戸崎村とみえ、同高。


戸崎村
とさきむら

[現在地名]上尾市戸崎

中新井(なかあらい)村の南にあり、大宮台地指扇(さしおうぎ)支台先端に位置する。南方で鴨(かも)川と浅間(せんげん)川が合流する。谷地を挟んで南は内野本郷(うちのほんごう)村、東は奈良瀬戸(ならせと)村(現大宮市)。足立郡差扇(さしおうぎ)領に属する(風土記稿)。元和九年(一六二三)旗本山内領となり(寛政重修諸家譜)、田園簿では田一一二石余・畑三七石余、ほかに山内氏納の山銭五四六文がある。山内氏が元禄二年(一六八九)本家の土佐高知藩主を継承すると上知され(徳川実紀)、同一〇年以降旗本春日領(寛政重修諸家譜)。


戸崎村
とさきむら

[現在地名]騎西町戸崎

正能(しようのう)村の北にあり、集落は騎西領用水左岸の自然堤防上に立地する。鎌倉時代戸崎右馬允の居城があったと伝え(風土記稿)、竜宝(りゆうほう)寺は戸崎城跡に創建したという(郡村誌)。城下(しろした)・城付(しろつき)の小名がある。永正一一年(一五一四)七月一日の尊能証状写(武州文書)に「武州中崎西之内自戸崎郷下之事」とみえ、崎西(きさい)のうち戸崎郷より下の年行事職を大円坊に申付くべきことを弾正忠尊能が証している。羽生(はにゆう)領に所属(風土記稿)。寛永二年(一六二五)一二月設楽甚三郎(貞代)は徳川氏から「戸崎村」で三三九石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。


戸崎村
とざきむら

[現在地名]那珂町戸崎

村の中央を大子(だいご)街道が縦貫し、東は鴻巣(こうのす)村。「中山氏雑記」によると、村内にあった蓮光(れんこう)寺の延慶二年(一三〇九)の鐘銘に「常陸国久慈西郡、戸崎村」とある。「水府志料」によると戸数およそ五七、「古屋鋪 内子と云字の所にあり。戸島弾正といふもの居住すといふ。今畠に成」とある。

臨済宗静安(じようあん)寺はその縁起(弘願寺文書)によると文和元年(一三五二)佐竹義篤が静(しず)村(現瓜連町)に建立して神宮山と号したが、寛文八年(一六六八)飯田(いいだ)村へ引移し、さらに元禄七年(一六九四)戸崎村へ移して山号を戸崎山と改めた。


戸崎村
とさきむら

[現在地名]伊奈村戸崎

戸茂(とも)村の南、筑波稲敷(つくばいなしき)台地西南辺の突端に位置し、居住区の南の低地を台通(だいどおり)用水が東流。下島(しもじま)村より元禄(一六八八―一七〇四)以前に分村(新編常陸国誌)し、旗本二氏の相給地として廃藩置県に及んだ。「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)には磯野元次郎知行地一六〇・三八九石、勝田大五郎知行地二三・九〇八石。


戸崎村
とざきむら

[現在地名]出島村戸崎

霞ヶ浦に南面し、東は加茂(かも)村。中世は南野(みなみの)庄に属し、小田氏の家臣戸崎氏が城を築いて支配した(佐竹家譜)。戸崎氏が佐竹氏に敗れた後は佐竹氏領、江戸初期に下総関宿藩領となり(寛文朱印留)、貞享四年(一六八七)以降土浦藩領となる(土浦市史)。元禄郷帳の村高は九三四石余、幕末は土浦藩領分九四八石余、松学(しようがく)寺領一〇石(各村旧高簿)。


戸崎村
とざきむら

[現在地名]青森市戸崎

桑原(くわばら)村の南、戸山(とやま)村の東北方にある小村。延宝八年(一六八〇)横内組につくられた派立新田二千八〇〇石のうちの一村である(津軽歴代記類)。貞享四年(一六八七)の検地帳では、田方六町八畝二三歩、畑方一二町五畝二歩、田畑屋敷合せて一八町一反三畝二五歩、村高七一・四八五石とある。畑が田の約二倍あるが、高は田方三四・三石余、畑方三七・一石余とほぼ同じである。田は上田三反余・下田八反余・下々田四町八反余、畑は中畑五反余・下畑一〇町八反・下々畑四反とあり上畑はない。


戸崎村
とさきむら

[現在地名]芦刈町大字三王崎(さんおうざき)字東戸崎(ひがしとさき)・西戸崎(にしとさき)

現芦刈町の中央部平坦地に位置する。戦国末期の潮土居線に立地する集落であるが、文化八年(一八一一)の平吉郷絵図に初めて戸崎村としてあらわれる。


戸崎村
とざきむら

[現在地名]寺泊町戸崎

島崎(しまざき)川左岸、西山丘陵を背後にして島崎川の沖積平地に面した集落。北の向い側の丘陵縁辺に枝村の法崎(ほうざき)がある。北は弁財天新(べんざいてんしん)村、東は川崎新(かわさきしん)村、西は年友(としとも)村。正保国絵図に村名はみえないが、貞享元年(一六八四)の村上藩領分郷村高辻帳に高四七八石九斗余とみえる。


戸崎村
とざきむら

[現在地名]岡崎市戸崎町

岡崎城の南に位置し、現在は岡崎市街の一角を構成。北は六名(むつな)村・明大寺(みようだいじ)村、南は羽根(はね)村に接する。六名村の支村といわれ、元禄(一六八八―一七〇四)以前の記録には六名村のなかに含まれて戸崎の名前が出てない場合が多い(岡崎市史)。「三河国二葉松」に戸崎村古屋敷として榊原武兵衛の名前があり、三河一向一揆の時、家康に忠勤を尽した人物という。


戸崎村
とざきむら

[現在地名]川越市中老袋(なかおいぶくろ)

中老袋村の南、入間(いるま)川と入間川古川に挟まれた低地に立地。比企郡に属した。もと老袋村に含まれていたが、元禄六年(一六九三)に松平信輝が検地を実施し、分村したという(風土記稿)。元禄郷帳に村名がみえ、高一四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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