日本歴史地名大系 「磯山村」の解説 磯山村いそやまむら 三重県:鈴鹿市旧奄芸郡地区磯山村[現在地名]鈴鹿市磯山一―四丁目・東磯山(ひがしいそやま)一―四丁目・磯山町・寺家(じけ)二丁目堀切(ほりきり)川を挟んで白子寺家(しろこじけ)村の西南に位置する。浜堤上の伊勢参宮街道に沿って、南北に細長い街村集落である。豊臣秀吉の時代には上野(うえの)城(現安芸郡河芸町)城主の領分で、慶長二年(一五九七)分部光嘉の知行方目録(「分部文書」写・東大史料編纂所蔵)に「一、四百八十石 いそ山之内」、また同六年の江戸幕府による知行帳(同文書)には一二六九・三三石磯山村とある。 磯山村いそやまむら 千葉県:佐原市磯山村[現在地名]佐原市磯山新(しん)島に開発された十六島(じゆうろくしま)新田の一つ。公官洲(こうかんず)新田の北西に位置し、南は与田(よだ)浦、東の市和田(いちわだ)浦を挟んで飛地があり、その北東を北利根川(現常陸利根川)が流れる(「十六島全図」利根川図志)。寛永八年(一六三一)加藤洲(かとうず)村内の「磯山須之尻」に新洲が形成され、西代(につしろ)村(現茨城県東村)の五郎右衛門が隠居地として幕府の許可を得て開発を請負い、同一七年(一説に一九年ともいう)に百姓が移住して開起されたという(正徳四年「根郷五箇村谷地御定納記」伊能家文書)。ただし千葉氏系の武士という飯田氏・小倉氏が「六軒島」に入植し、寛永一五年に磯山を開いたとする所伝が地内の浄土宗願海(がんかい)寺所在の両家墓碑に記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by