磯野アヤ(読み)イソノ アヤ

20世紀日本人名事典 「磯野アヤ」の解説

磯野 アヤ
イソノ アヤ

大正・昭和期の医師



生年
明治27(1894)年12月24日

没年
昭和32(1957)年7月

出生地
富山県富山市

旧姓(旧名)
大野

学歴〔年〕
東京女子医学専門学校〔大正7年〕卒

経歴
兄弟9人を養育するために医者を志し、上京して東京女子医学専門学校に入学。大正7年に同卒業後は東京・多納病院や日赤富山病院などに勤務し、のち富山市堀川町太郎丸で開業した。戦時中には自らの医院野戦病院に活用。晩年、歩行困難に陥っても周囲の人に手を借りて診療に回るなど、生涯一貫して町医者として地域医療に当たった。夫は日本画家で富山美術界の泰斗・磯野紫翠。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「磯野アヤ」の解説

磯野アヤ いその-アヤ

1894-1957 大正-昭和時代の医師。
明治27年12月24日生まれ。東京の多納病院をへて日赤富山病院につとめる。昭和11年日本画家磯野富之助と結婚し,富山市で開業。生涯「町医者」として地域医療につくした。昭和32年7月死去。62歳。富山県出身。東京女子医専卒。旧姓は大野。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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