祖父江城跡(読み)そぶえじようあと

日本歴史地名大系 「祖父江城跡」の解説

祖父江城跡
そぶえじようあと

[現在地名]祖父江町祖父江 北方

「尾張名所図会」によれば、初め祖父江五郎左衛門尉久豊が住んだが、永禄(一五五八―七〇)の頃竹腰たけのこし(現稲沢市)へ移った。子の孫九郎信勝は大膳亮また芳斎と号して福島正則に随身したが、大坂の陣の時城中へ内通した罪で断絶。その後は横井家の屋敷になったといわれる。

「寛文覚書」には竹腰城(現稲沢市)に祖父江大膳が、西島にしじま(現稲沢市)に祖父江五郎左衛門が居城したという。戦国期の矢部甚兵衛等連署蔵入地注文(氷室和子氏蔵)にみえる祖父江五郎右衛門と前記祖父江五郎左衛門とどんな関係になるのか。津島祖父江家(のち氷室姓となる)の文書によると、祖父江秀治は織田信秀に仕えて大膳亮に任ぜられ、その孫五郎右衛門秀重は信長・三法師に仕えて西島清水しみず天池あまいけ(現稲沢市)等のほか山崎・ひわくひ・大塚おおつか塚原つかはら・あけ嶋等を所領としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む