日本歴史地名大系 「神崎台場跡」の解説 神崎台場跡こうざきだいばあと 長崎県:長崎市西泊村神崎台場跡[現在地名]長崎市西泊町・木鉢町江戸時代、西泊(にしどまり)村の神崎鼻などに置かれた台場。承応二年(一六五三)長崎湊の警備のため湊内に神崎(高崎)・女神(めがみ)・太田尾(おおたお)の三ヵ所、湊外に白崎(しらさき)・高鉾(たかぼこ)、長刀岩(なぎなたいわ)・蔭尾(かげのお)(現香焼町)の四ヵ所に石火矢台設置の検分があり、明暦元年(一六五五)平戸藩により築造が行われた(華蛮交易明細記・崎陽群談)。「長崎拾芥」では平戸松浦氏により築造された石火矢台は「カウサキ」など七ヵ所とする。元禄五年(一六九二)三月「高崎」内に一〇番高州船の入津が西役所などに報じられ、同六年八月「高崎」近くで三五番唐船の乗員の死骸が発見されたが(唐通事会所日録)、高崎は神崎であろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by