20世紀日本人名事典 「神成文吉」の解説 神成 文吉カンナリ ブンキチ 明治期の軍人 陸軍大尉。 八甲田山遭難事件の被害者。 生年明治1年12月(1869年) 没年明治35(1902)年1月27日 出生地羽後国鷹巣(秋田県北秋田郡鷹巣町) 学歴〔年〕陸軍教導団歩兵科〔明治21年〕卒 経歴陸軍教導団歩兵科に学ぶ。明治34年陸軍大尉に昇り、青森歩兵第五連隊中隊長を拝命した。日露開戦を睨んで青森県八甲田山で雪中行軍訓練が行われると、計画作成と部隊の指揮を担当。35年1月21日に大隊長の指令を受け、隊員210名とともに出発。しかし、折からの悪天候に装備や事前調査の不足などの悪要素が重なり、神成を含めて199名が猛吹雪の山中で命を落とした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神成文吉」の解説 神成文吉 かんなり-ぶんきち 1869*-1902 明治時代の軍人。明治元年12月生まれ。陸軍教導団にはいり,明治34年陸軍大尉,青森歩兵第五連隊中隊長。日露戦争をひかえての雪中訓練として八甲田山雪中行軍の計画作成を担当。訓練の指揮にあたるが,明治35年1月27日八甲田山麓大滝平で遭難死。35歳。羽後(うご)(秋田県)出身。猛吹雪と装備の不備,事前調査などの準備不足のため,隊員210人中199人が死亡した。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by