神次郎村
じんじろうむら
[現在地名]角田市神次郎
北流する阿武隈川左岸の小丘陵部にある。東は小坂村、西は君萱村、北は柴田郡舟岡村(現柴田町)。南から北へ舟岡道が通る。文明九年(一四七七)二月二三日の伊達成宗安堵状(妙立寺文書)に「伊具之庄西根、新二郎村内」とみえ、平岡六郎方よりの買地の同村内の地が海禅坊に安堵されている。海禅坊は当村の日蓮宗妙立寺の前身か。「安永風土記」では同寺九世に海善院日進がみえる。長享三年(一四八九)四月一九日、「地次郎郷」内の法花海善坊の在所の棟役等の公事が、訴訟の結果免除となっている(「伊達尚宗棟役免除状写」伊達家文書)。天文一五年(一五四六)八月六日には「治尻之地」(当村内沼尻か)が詫言(訴訟)の結果「かいせん坊御同宿中」に渡された(「留守景宗宛行状」同文書)。
天文七年の段銭古帳では「ちゝろうかう」とみえ一八貫六〇〇文。また段銭一四貫一五〇文の「おほのハリ」は当村字音ノ入をさすか。九貫八五〇文の「おかにハのかう」は永正一〇年(一五一三)九月三日伊達尚宗から定禅寺(現仙台市)に安堵された「伊具庄神事郷内岡庭」のことと推定される(伊達正統世次考)。天文一〇年六月二九日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によれば、平岡よりの買地神次郎郷内の「脇の田の下、大堤三百苅、同小堤二百苅、内鎗田二百苅」の合計七〇〇苅、年貢一貫文の所が明智藤松に安堵されている。
神次郎村
じんじろうむら
[現在地名]松山市神次郎町
松山市域の東北端に近い山村。高縄山塊の西南部にあたり、三〇〇―五〇〇メートルの山地が連亘し、高原状を呈する。人家は渓谷に沿ってわずかに存在し、大部分は草原と山林に覆われている。東は上総村、西は菅沢村、南は湯山村、北は城山・小屋の二村に接している。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の風早郡の項に「神二郎村 柴山有」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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